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【考察シリーズ】何をするにも理由が必要なのか?

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今日は、ふと考えたことをダラダラと綴ります。

 

 人はすぐに理由を求めたがります。私が、「会社員を辞めて農業をやる」と人に言ったときも「なんで農業やるの?」って聞かれました。私は「食や医療を農業×ITで変えていきたい」という回答をよくしますが、それはその後に出来た目標であって、最初は単純に「面白そう、気になる」って思ったからです。

 

 しかし、聞いた人は「面白そう、気になる」では「なんか薄っぺらい」と感じるのか、そのように答えるとあまり良い反応をしません。聞いた人は、多分何か壮大な人生観とか目標とかが、必ずその人にあるとでも思っているのだと思います。

 

 そして、私はこの「壮大な理由」が何をするにも結構多くの人の足かせになっているのではないかと最近感じ始めました。要は、「やりたいけど、何か特別な理由があるということではないから、まぁ今のままでいいか、家族もいるし」みたいな考えに落ち着いているのではないかと思うのです。

 

 でも、例えば「人を好きになる」ことに理由があるでしょうか?「よく話しかけてくれるから」とか「優しくしてくれたから」とかっていう理由は全て後づけだと思うのです。好きな人以外の人によく話しかけてもらったって、優しくしてもらったって、「顔が好みじゃない」とか「なんとなく合わない」とかだったら、何されたって好きにならないと思うのです。

 

 「いや、私はよく話しかけてくれて段々気になってきたよ!」と言う反論もあるかもしれません。でも、多分それって最初から自分の意識していない領域で、その人が気になる「かもしれない」存在の範疇に入っていると思うのです。

 

 そんな反論は後づけだから、私はそんな後づけの壮大な理由に振り回される必要なんてないと思うのです。「よくわからないけど、好き」「よくわからないけど、気になった」。そういう自分の感覚というか、感性みたいなものの方を大事にした方がもっと楽しく生きられるんじゃないかと思うのです。

 

 「よくわからない」という壮大な理由は後づけで埋まってくるので、気にする必要なんてありません。もっと、自分と対話して、自分がどう感じているのかということに意識を傾ける必要があると思います。

 

自分の心の声に耳を傾けましょう!

 

 でも実は理由をちゃんと考えた方が良い場面というのもあります。それはまた別の機会に。